【生産者インタビュー】
これまで主に父親が40年近く栽培してきたが,10年ほど前から父の手伝いをし、
昨年から全ての園を一人で管理を始めた森克己さん。
最初から無農薬での栽培ではなかったが、
反農連(1979年大澤忠夫と水俣病患者が立ち上げた無農薬甘夏みかんの生産者団体)
との出会いにより栽培方法を変えた。
「最初は父も農薬を散布していたが、反農連に加入して一切農薬を止めた。
周りから色んな事を言われたが、その時、自分も父の行動に賛成だった」と克己さんは話す。
克己さんにとって一番大変な作業の問いに、「自分の園はそんな広くないから草刈り、
肥料まき、剪定はそんなに大変じゃない。それよりも一番は収穫が大変」と。
後々その理由をきくと克己さんは出稼ぎの後遺症で指が腱鞘炎で曲がらず、
収穫バサミでみかんを収穫するのに力が入らない。その時だけは家族に手伝ってもらっている。
現在、克己さんの園は有機肥料をまいているが、自然農法の無農薬無肥料栽培に少しずつ移行している。
そして、農園全体にまんべんなく水を撒く設備を近々作りたいと話す。
ここらへんで話しを終わろうとしていたところ、最後に熱い想いを語ってくれた。
「無農薬栽培や有機栽培なんて、最近は全国どこでもあるやろ?でも、
オレたちのみかんはただの無農薬じゃない。水俣病を経験しているとこに意味があるの。
水俣病を経験したオレ達が農薬に手を出していいのか?オレは絶対いや。
金もうけでみかんを栽培しているわけじゃない。」
胸が熱くなるのを抑えながら自分はメモをとっていた。
そして、克己さんの熱い想いはまだ続いた
「金もうけでみかんを作っているわけじゃないけど、最高の品物(みかん)を作りたい。
無農薬だから、外見が悪いって思われているのも嫌。無農薬でも、
高い技術があれば外見が綺麗で味の良いものは必ず作れるはず」
「反農連ができて約40年、からたちに変わっても
100年続けることが大事なことやろ。100年続けられたら歴史になるんだよ。
そこ目指そうよ」と最後は逆に自分たちに熱いメッセージを頂いた。
今回、克己さんと話していて、胸に刺さる言葉がいくつもあった。
たった甘夏みかん一つから沢山の物語があり、そして生産者の想いが込められているのだ。
そんな甘夏みかんを最後の1個まで生産者の想いと一緒にお客さんのところへ届けることが、
自分たちの使命なんだと再確認できた。克己さんの熱い想いが伝わり、
自分たちももっと頑張るぞと熱い気持ちにさせてくれた生産者インタビューになった。
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