機関紙「からたちの道」2026年春号より
今年は水俣病が公に確認されて70年を迎える節目の年だ。前回の機関誌にも書いたが、この節目の年に私が改めて水俣とどんなかかわり方ができるのか、少し悶々とする時間が続いていた。
そんな時、からたちのネットショップに同じ人から同じ内容の注文が3回届いた。間違って注文されたと思い、注文者に電話をした。埼玉県在住の同世代の女性の方だった。要件を話し電話を切ろうとした時、その方のお父さんが水俣出身で水俣病患者だったということを電話口で話された。よく聞くと、彼女のお父さんはからたちの事務所からさほど遠くない漁村で生まれ育ち、18歳で上京。その後結婚し、生前ほとんど自身のことを家族には語らなかったと。
今、娘さんでもある彼女は、父の記憶のパズルを解くように、水俣を何度も訪れていると言われた。水俣に来て、父が育った漁村を歩き続ける。涙なしでは歩けないと。また水俣を訪れるだけではなく、関東という水俣から離れた場所で、水俣病患者家族として生きてきた壮絶な記憶を語り始めてもいると。水俣病で苦しむ人は、決してこの水俣の中だけではない。日本全国にいる水俣病患者、そしてその家族の中にも苦しみがあるのだ。彼女はこうも伝えてくれた。水俣病患者の父と生きた人生は、これまで誰かに語るほどのことではないと思っていたが、実際語り始めると、聞き手の人たちの心に何か深く響いているのを感じると。それは、単に水俣病が繰り返されないようにという気持ちだけではなく、聞き手が自分自身に水俣病を刻んでいるようにも思うと。水俣ではなない場所で、水俣育ちでもない彼女にとって「語る」ということは水俣病で亡くなった人への弔い(とむらい)、とも言われた。
そして、彼女のお父さんが亡くなる直前に発した言葉が2つあったことも教えて下さった。一つは兄弟の名前だった。そしてもう一つは「ぽんかん」か「たんかん」という言葉で、よく聞きとれなかったがみかんの名前だったと。
彼女のお父さんは18歳で水俣から上京して以来、あの水俣のみかんの景色を忘れたことがなかったのではないか。最後にあのみかん園から広がる不知火海の景色を見たかったのではなかろうか、と想像する。彼女は、からたちのネットショップで「ぽんかん」が販売されているのを知り注文し、私との電話での会話が生まれた。私は電話での出会いのお礼を手紙にしたため「ぽんかん」を発送した。その「ぽんかん」は偶然にもお父さんの誕生日の日に届いたこと、それをお墓に届けることなど書かれたメールが、その後彼女から届いた。いつの日か、また水俣を訪れるであろう彼女と水俣で会えることを楽しみにしている。
水俣出身の彼女のお父さんは上京し埼玉県で暮らした。私の父は埼玉県出身で、52年前、何か患者さんの力になれたらと水俣へ移住した。電話口の彼女と不思議なご縁を感じた。
機関紙「からたちの道」2024年4月号より

水俣の今
新たな撤去場所
水俣病の原点ともいえる有機水銀を含む工場排水の出口になった「百間排水口」の撤去が水俣市から突然発表されたのは、昨年の6月だった。「水俣病胎児性小児性患者・家族・支援者の会」をはじめ多くの反対を表明する声が、撤去されず、歴史を伝える場所として維持されることへとつながった。そして今度は水俣病犠牲者慰霊目的で40年前に建設された仏舎利塔の撤去と土地の明け渡しを求める訴訟が、水俣の市議会の議会で賛成多数で可決された。
少し経緯を説明すると、関係者の話しではこの建物は、1971年の市議会で市議が提案し、土地を所有する水俣市と、当時の市長が会長を務める水俣仏舎利塔建設奉賛会との間で土地の売買契約が交わされた記録が残っている。所有権移転登記はされておらず、市有地のままとなっていた。建築主で所有者の男性は、地元新聞社の取材に対し「これまで何も言わなかったのに、なぜいまさら・・・」と。水俣市の訴訟の理由は、仏舎利塔付近で、近年、保安林の無断伐採や違法な造成工事があり、調査を進め、所有者を特定し、撤去を求めたが応じなかった、と。2020年、建物の周囲に樹々が生い茂り、ごみが散乱していたことから、市民有志が清掃や修繕を始めた。ただその時に必要以上に樹々を伐りすぎたことも一因のようである。そのため、修繕にあたった関係者たちは樹の苗を植えたりとできることはやってきたが、近く水俣市より建物撤去の提訴がされる。
水俣病犠牲者の慰霊目的と、かつての水俣市議会で提案された祈りの場所でもある建物が、現在の市議会の決議で今度は撤去される方向へ進んでいる。私はどんな結末になるか分からないが、この裁判という対立構造は新たな対立しか生まないと思う。水俣はこれまで長い時間、人と人の分断や対立が続いてきた。今でもその構造は何かあると浮き彫りになる。だからこそ、対立ではなく異なる意見を持つ者に耳を傾けることから始められないだろうか。同じテーブルにつけないだろうか。それぞれの正義があるかもしれないが、それであれば、まずはそれをお互い聞くところから始められないだろうか。
(参照・熊本日日新聞2024年3月15日付)
大型風力風力発電設置計画のその後
水俣市議会の内容が続くが、8名の市議で構成される「環境対策特別委員会」というのがある。かっては「公害環境対策特別委員会」という名称であったが、市議会で多数を占めた保守系の市議が「いつまでも『公害』を掲げていては、街のイメージに関わる」と改称を発案し議決されたという経緯がある。
その会の市議たちに水俣で設置予定の大型風力発電についての意見を伝えに行ってきた。数年にわたり懇談会開催の要望書を出していたが、実施されたのは今回が初めてだった。設置予定地の近くのお茶農家、建設会社、地質学専門家、子育て世代、移住者、水俣の自然や生き物を守りたい中学生など、さまざまな立場の者が短い時間ではあったが、とりあえずは意見を伝えることができた。ただ、懇談会が開かれるまでかなりの時間が要したこと、私たちが意見を述べている時、一度も顔を上げない議員がいたことなど、この人たちは環境に対して本当に特別対策を取ってくれるのだろうか、と疑問が残った。
最後に会の議長からは、学校を休んで意見を述べに行った中学生に「学校は義務教育なので昼からは学校に行って勉強してほしい」と言われ懇談会は閉会した。中学生の彼は「何もずる休みをしたわけではない、勉強に対してもサボっているわけではない。水俣の自然はそれだけ多種多様な多くの貴重な動植物が生息している。自分が何で休んでまでこの場に行ったかがわかりますか?」と口を食いしばった。ただ、その数日後、熊本県は大規模風力発電事業に対し、土砂災害や希少動植物への影響が懸念されるとして、「事業計画全体の抜本的な見直し」を求める知事意見を経済産業相に提出したと、少しだけ嬉しいニュースが届いた。
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機関紙「からたちの道」2021年9月号より
