機関紙「からたちの道」2021年9月号より 
 
水俣の今

毎年、5月1日の水俣病犠牲者慰霊式で伝えられる「祈りの言葉」。
今年はコロナ禍で慰霊式は中止となりましたが、皆さまにも読んでいただきたく今年の「祈りの言葉」を紹介させてもらいます。



「祈りの言葉」

私の記憶に残るのは、祖父の葬式で墓に行く父・川本輝夫の姿です。祖父は私が3歳の時に、勤めていた精神病院の保護室で、いわゆる劇症型水俣病の狂騒状態で未認定のまま亡くなりました。父はそんな祖父を一人で看取りました。私の手を引いて、父は大声で泣いていました。「じいちゃんの亡くならしたっぞー」と。死の意味も分からない私に、父は泣きながら語り続けました。抜けるような青空と、父の悲しみとがあまりにも対照的でした。

父の行動は、この慟哭から始まりました。


座り込み闘争宣言で「チッソ幹部は全国からの指弾の目を避けるための画策を練り、私たち患者家族が『チッソ王国水俣』で手負い猪になることをしきりに言う。私たちは同じ『手負い猪』になるのなら、最も悲惨・苛烈・崩壊・差別の原点『水俣』から日本を血だるまで、駆けめぐりたい。」と宣言しました。水俣病事件に巻き込まれ、家族を殺され自分自身も傷つきながら、水俣病事件によって破壊された人としての尊厳を取り戻そうとしたのが、父の水俣病事件の闘争でした。自らも患者でありながら一軒一軒訪ねてまわり、認定申請を勧めた父。その人たちの辛さや暮らしの大変さを自分に重ねて、身にしみて感じていた父は、その方たちの代弁者として一生を走り続けました。胎児性の患者さんに寄せる優しい父のまなざしは私のあこがれです。

1年9か月続いた自主交渉の場では、当時の島田社長に「日本全国の同じ父と母が、そんなに違いがあってよかですか。同じ幸せであるべき父と母が、そんなに変わっていいですか。・・」と話しかけました。「人間の価値、命の重さは同じだ。人間は幸せになるために生まれてきた。」という父の哲学に裏付けされた言葉でした。

父はこれまでに4回逮捕され、家宅捜索を4回受けました。すべて無罪でしたが、映像で映る家宅捜索のニュース、数々のいやがらせハガキ、電話。幼い私は傷つきました。私はまだ幼くて、差別に弱かった。差別をはねのけるすべを知りませんでした。辛くて悲しかった。でも、母は揺るがなかった。私たちきょうだいに、父は「何も悪いことはしていない。患者さんのために闘っている。」と教え続けました。私たち家族は、父を支えるため、必死で生きてきました。


「熱意とはことあるごとに、意志を表明することにほかならない。」

これは父が私たちに遺した遺言です。意志を表明し続けた人生だったと思います。「口では言わないけど、おまえの親父さんがすごいことをしてきたとみんな思っている。」「あんななかで、たった一人で闘ってきたお父さんは偉かったと思う。」と言ってくれる友だちがいます。父の言葉や生き方はたくさんの人を勇気づけ、未来を生きる道しるべになるのではないかと思います。そんな父に、私はゆるぎない尊敬を感じています。


今、人間の弱さ、差別性があぶり出されています。また、水俣病事件でも起きていた匿名の中傷・差別が、形を変えてたくさんの人を傷つけています。自分自身も注意深く見極めていかなければ、差別をする立場に立っていることにさえ気づかないかもしれません。こんな時代だからこそ、水俣病事件の教訓を生かし事実を受け止め間違いは正し、乗り越えるために知恵を絞ってきた、おとなたちは話し合いを重ね努力してきたと、胸を張って未来をになう子どもたちに言えるようになりたいと思います。


水俣病事件で闘ってきた父、父に力を与えてくださったみなさま、無念の中で亡くなられたみなさまのご冥福をお祈り申し上げます。私たちは未熟で、まだまだ間違いを繰り返すかもしれません。ご冥福をお祈りするとともに、私たちを正しき道へお導きくださいますようお願いいたします。

(後略)

令和3年5月1日
患者・遺族代表 上野真実子