今年もみかんの季節無事に終わりました 45年前、「被害者が加害者にならない」と水俣病患者自ら農薬をやめ無農薬のみかんを作り始めました。 水俣のみかんを通して、水俣病や水俣のことを伝えていきたい。 水俣と出会ってもらいたい。 その思いは今も本格的に出荷を始めた40年前も同じです。 当時若かった生産者も今では80歳代。これを書いている私は5歳でした。 多くの生産者も亡くなりましたが、みかんとともに想いのバトンもしっかりもらいました。 今年も無事収穫を迎え、皆さんにみかんを食べていただけることがとても嬉しいです。 →からたちホームページへ l
はじめまして からたち です 

熊本県水俣市茂道という小さい漁村で、農薬を使わない柑橘類を栽培・販売しています。

私たちのグループの名前「からたち」は「からたち」という柑橘の名前です。

「からたち」という柑橘ご存知ですか?

全ての柑橘は接ぎ木という手法で苗を育て樹にします。

その接ぎ木の土台に使われているのが「からたち」という柑橘。

さまざまな柑橘を成長させるための土台に使われています。

一見、目立たないからたちでも、このしっかりとした土台がないと立派な柑橘は育ちません。

からたちの根っこから水分や栄養素を吸い上げ、接ぎ木されたさまざまな柑橘の手助けをしています。

私たちもそんなからたちのように、生産者と消費者を繋ぎ、水俣病事件がきっかけとなった無農薬栽培の甘夏みかんを

これからも栽培し販売しながら、命ある全てのものにとって佳き社会を作っていきたい。

そんな想いが「からたち」に込められています。

             
これまで そして これから

水俣病事件で海を奪われた漁師たちは「陸に上がる」選択を強いられ、生活の糧として甘夏みかんを作り始めました。

今年で水俣病公式確認61年目を迎えたので、あの時からずいぶん時間がたちました。

甘夏みかんの栽培を始めた人の中には、自身が水俣病という病魔に侵されていながらの、

農協主体による農薬散布はさらに困難を極めました。

そんな中「生きんが為にも農薬は、絶対やめるべきじゃ。被害者が加害者にならない」と声を上げた、

水俣病患者・故杉本雄さん栄子さんと、大澤忠夫が1979年6月に「反農連(反農薬水俣袋地区生産者連合)」を結成。

「本来の人間らしい生活をしながら、弱く切り棄てられる生産者同士の絆を深め、

水俣のみかんを通じ、全国に水俣病事件を伝え、自らの生活を据え返す契機にしたい」

という想いとともに、農薬を使わない甘夏みかんの自主販売を開始しました。

時は経ち、みかんの樹々も幼木から成木へ。

若かった生産者もおじいちゃん、おばあちゃんへ、そして世代交代も始まりました。

2006年10月エコネットみなまた農水産部門「はんのうれん」という企業組合になりましたが、

2016年退職し、新たに「からたち」という団体を私たち3人で立ち上げ、

これからもこの地で農薬を使わない柑橘を栽培・販売していくことを決めました。

水俣病のことをあまり知らない人にも、私たちの水俣のみかんをお届けしたいと思っています。

これまでの「水俣病→水俣のみかん」という入り口から、

「美味しいみかん→水俣のみかん」「無農薬みかん→水俣のみかん」という色々な入り口があって、

みかんを食べ終わる出口あたりで、水俣のこと水俣病のことを知ってもらうのでもいい、と思っています。

ただ、水俣のみかんを通して、水俣病のような悲劇が二度と起こらない社会を作りたい。

その想いは40年前に会を立ち上げた生産者たちの気持ちと大きく変わらないと思います。

水俣の無農薬甘夏みかんを通じて、よき社会が広がることを願って、日々仕事しています。